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日本の帽子博物館(1)
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■日本の帽子博物館(3)
皇后様はクラウンの低い帽子を愛用された。
また宮妃方も洋装のときには、同様にクラウンの低い、 ヴェール付きのトークや、つばつきの帽子をかぶっておられた。
(昭和25年)
「君の名は」
(昭和28年)
「君の名は」の大ヒットで、真知子巻が大流行、 銀座の街角から、地方にまで映画を通して 流行は全国に広まる。
このストールの使い方は同時の女性のおしゃれに対するあこがれと、実用性がうけ、婦人帽よりも、好まれたものかと思われる。
(昭和28年)
戦前からの中折帽に愛着をもつ 中年層のなかに、ソフトをかぶる人が だんだんと増えてくる。 また布地製のミルキーハットがアメリカからの 流行として若い人から中年まで、 ぼつぼつかぶられていく。 このミルキーは、ハンチングや戦闘帽に 代わってかぶられてきたもので、 クラウンは低く、スポーティーなものである。
(昭和28年)
カリプソ・スタイル(バナナボートソングの浜村美智子の長い髪)が 銀座を歩く。カクテルハットや、クロッシュ型やおとなしい婦人帽が 見られるようになる。
(昭和32年)
皇太子のご成婚によって、テレビの普及率は急に上昇し、美智子妃の帽子に婦人の関心が集まる。
これにあやかって、新婚旅行の女性は白っぽいトークをかぶることが流行してくる。
(昭和34年)
クラウンはだんだん高くなる。
またヘアスタイルの流行も高い髪形が流行してくる。
(昭和35年)

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